吉田正記念オーケストラ
東京シンフォニー第3番

吉田 正 交響組曲《東京シンフォニー第3番》

東京シンフォニー第2番
1.吉田 正 交響組曲《東京シンフォニー第3番》
・ 第1楽章 〈傷だらけの人生〉
 好きな人/泣かないで/恋しても愛さない
・第2楽章 〈シンガポールの夜は更けて〉
 明日は咲こう花咲こう/霧子のタンゴ
・第3楽章 〈弁天小僧〉
 潮来傘/若いやつ
・第4楽章 〈再会〉
 第三号倉庫/霧の別れ/誰よりも君を愛す

試聴する(霧の別れ)

2.異国の丘

作曲:吉田 正/編曲・指揮:大沢 可直 /
演奏:吉田 正 記念オーケストラ/
    トルコ国立イズミール交響楽団
VICL-61269 (定価)¥2,500
(ビクターエンタテインメント)




 「愛の種々相」を描き出す吉田作品

 
小倉友昭


満員の聴衆のさらなる演奏を願望する表現なのだろう。アンコールを求める拍手が、何度となく場内に響きわたった。応えるように「異国の丘」が、フルートの透明な、それでいて哀しさをたたえた美しい音色で客席に訴えかけてくる。2003年9月19日に行われた吉田正記念オーケストラとトルコ国立イズミール交響楽団との合同演奏会のこれがフィナーレだった。

吉田正さんの全作品とあらためて向き合ってみる。いまさらながら、終始一貫して「愛」が大きなテーマとなっていることに気付く。東京シンフォニー第1番が発表された時から、大沢可直の率いるトルコ国立イズミール交響楽団が日本公演で伝えようとしたのは、吉田さんが描き続けてきた「愛」の種々相ではなかったのか、と思わないわけにはいかない。曲から、脈々と溢れ続けているのは愛の深さ、優しさ、脆さ、そしてそれらをすべて覆いつくす愛することの靱さだった。

第1楽章から第4楽章まで、多くの人たちに親しまれ、愛された吉田メロディが新しい編曲によって歌とは違う装いで聴衆の前にあらわれたとき、それまでの歌によって伝えられた想念とは違う顔を見せたのである。数々の旋律が、いわゆる歌のない歌謡曲とは違った音楽作品として存在していた。さらにいえば、これらの楽曲は、それぞれの歌詞から離れて歩き始めたのである。この流れは、大きな渦となって、今回の交響組曲 “東京シンフォニー第3番”に結実する。

かつて鶴田浩二の歌でヒットした「傷だらけの人生」が、ここでは、厚味のある低音を響かせて、聴き手の心を揺すってくる。人生の表裏を、音で表現した、といっても過言ではないほどの導入部は暗示的である。この歌のヒット曲は、鶴田という素材を全ての面で活かしきったところにあった。映画俳優として、数多くの主演作品を持つ鶴田を、歌手としても単なる歌う映画スターというだけではない存在にしたのも、この作品のヒットがあったため、といっても過言ではない。俳優としての鶴田をより活かした台辞を多用しながら、歌とつなげ、さらに大きな存在に仕上げる手法がこれほど成功した例は、かつてなかったものだった。いわば、新しい手法で鶴田という素材をさらに大きな存在として仕上げた、といってもいい。吉田さんが、作曲家だけではない、プロデューサーとしても鋭い感覚を持っていた、ということもうかがえる。

「傷だらけの人生」で幕を開けた第1楽章は、続けて藤本二三代の優しい歌でヒットした「好きな人」、そして情愛の細やかさを柔らかに歌い上げて、歌謡コーラスブームのきっかけを作ったマヒナスターズの「泣かないで」が、甘やかな美しい旋律で束の間の安らぎを与えてくれる。

それにしても、四十年を超える歳月を経てもなお違和感のない吉田さんの旋律が聴き手の心に深く響いてくるのは何故だろう。
鶴田は、かつて「歌うということは非常に難しい、とつくづく思うことがある。自分の全てを一曲の中に出さなければいけないから・・・」といい、「吉田さんの歌はより難しいと思う。何となく歌えそうだと思っても、いざしっかり歌うとなると、表現が難しくなって、何度もやり直さなくてはならなくなる」といっていた事があった。それだけに「傷だらけの人生」を歌う時は全てを集中していた。悲壮感の漂う演奏を聴きながら、ふとそんなことを思い出したのも、この歌の出来栄えが見事だったからである。

第2楽章に移ると、一転して軽やかな明るい曲調になる。とくに二曲目の「明日は咲こう花咲こう」は、吉永小百合、三田明のデュエットの若々しい明るさが、そのままアレンジされたひろがりのある演奏で、あらためて若い歌手の当時を思い出させるような雰囲気が漂ってくる。そして、「霧子のタンゴ」へとつながる。タンゴの深いリズムの刻みから変わって、いわゆる時代ものといわれるものでも、吉田さんの手にかかると時代を超えて、現代にもそのままフィットするような感じとなる。三浦洸一の歌でヒットした「弁天小僧」は弦楽器のピチカートがテンポよくリズムを刻み、橋幸夫の歌「潮来傘」は金管楽器が主体となって軽やかに展開して行く。そして、第4楽章の壮大な演奏へと移って行く。

かつて吉田さんは「“再会”をしっかり歌えないようなら、松尾君にはしばらく曲を書かないこともあり得る」と語っていたことがあった。いまにして思えば、吉田さんは、この曲の在り様をしっかり見据えていたのだろう。この曲への思いがいかに強かったかをあらためて思い出さないわけにはいかない。これは作詞の佐伯孝夫さんも同様だった。当時、カフカの作品がベストセラーになっていた時代である。不条理の文化といわれたカフカの作品を、いわゆる知識階級の人たちが盛んに読んだ時代である。佐伯さんは「“再会”はカフカの作品がきっかけになって出来たものです。」と語ってくれたほど、当時の歌謡としては異色の作品だった。制作してから、半世紀近く経っているいまでも、生きるということの切なさ、そして人生の哀しさが、聴く人の心にひしひしと迫ってくるのも、そんな作家の熱い思いが、この曲に強く込められているからに他ならない。これは第4楽章のプロローグの緊張した演奏からしっかり伝わってくる。しかも弦楽器だけのおさえた演奏が人生の悲しみの深さをじっくり物語ってくれる。曲の深い味わいが、旋律の隅々にまで滲み通っているような演奏である。それが、一転すると、管楽器群を促すような激しさに変わってオーケストラの全合奏へと展ろがって行く。「誰よりも君を愛す」が「再会」と対峙するようにあらわれて、より強く自己主張しながら曲を盛り上げる。「再会」といい「誰よりも−」といい、いずれも当時から、ヒット曲として、多くの人に愛された作品である。さらにいえば、その広がりと情念の深さはフィナーレにふさわしい楽曲である。この曲を第4楽章にと編曲した大沢可直のこの曲に寄せる想いが、そのままオーケストラの壮大な響きとなって、聴き手の心を揺さぶってくる。見事なエンディングである。そしてさらに「誰よりも君を愛す」が、静かに主題を繰り返しながら哀しみを深めて行く。旋律は鎮魂歌のように、その響きに呼応して心の底に沈んで行く。

あらためて演奏をじっくり聴いて「東京シンフォニー第3番」の演奏を聴いて吉田さんの作品群の伸びやかな展がりを感じいったものである。すべては吉田さんが多彩な感覚で、しかも思慮深さを秘めていたからこそ、この個性的な交響組曲の演奏が可能だったと思わない訳にはいかない。それにしても歌謡という日本的な表現形式で、さまざまなジャンルに挑んだ吉田さんの功績の大きさは計りしれないものがある。




東京シンフォニー第三番 解説

 
大沢 可直


東京シンフォニー第三番(カッコの中は原曲を歌った歌手名)

第一楽章 
傷だらけの人生(鶴田浩二)〜好きな人(藤本ニ三代)〜泣かないで(マヒナスターズ)〜恋しても愛さない(三浦洸一)

第二楽章 
シンガポールの夜(橋幸夫)〜明日は咲こう花咲こう(三田明、吉永小百合)〜霧子のタンゴ(フランク永井)

第三楽章
  弁天小僧(三浦洸一)〜潮来笠(橋幸夫)〜若いやつ(橋幸夫)

第四楽章 
再会(松尾和子)〜第三号倉庫(朝倉ユリ)〜霧の別れ(星富佐夫)〜誰よりも君を愛す(松尾和子)


東京シンフォニーというメインタイトルで平成13年度日本レコード大賞企画賞を受賞した第一番以来、現在までに三作を数え吉田メロディーをクラシック風に編曲する事で流行歌を超越した芸術作品として国民栄誉賞受賞の吉田メロディーを後世に残す目的で今後も数を重ねる計画が進行中である。第一楽章の提示部は「傷だらけの人生」で重厚に開始、展開部は藤本ニ三代のエレガントな歌唱でヒットした「好きだった」で始まり古典的なソナタ形式で展開した後、コーダで再び「傷だらけの人生」が現れ悲壮感をもって終始する。

第二楽章は自然の美しさを歌い上げ、第一楽章で提示された苦悩から開放される。中間部の「明日は咲こう花咲こう」では自然の賛歌が高揚し、オーケストラは大音量で宇宙空間的なスケールまで昇り詰めるが、「霧子のタンゴ」で極めて人間的な喜びを表現し、至福の気分でこの楽章は終結する。

第三楽章は軽快なスケルツオであり、弦楽器のピチカート奏法による少しおどけた調子で弁天小僧」が開始した後、「潮来笠」による短いファンファーレの後、行進曲風の「若いやつ」と農民の舞曲を想起させるような「潮来笠」のテーマが交互に現れ軽い気分のまま楽章が終わる。

第四楽章はバイオリンの低音によって「再会」のテーマが哀愁を帯びて出現、三楽章のコミカルな気分は一変する。弦楽器のみの演奏で静けさー悲しみーこみ上げるような慟哭の表現の頂点に管楽器を伴ったオーケストラの強奏で「誰よりも君を愛すが」叫ぶように現れ、その後「再会」が力強く悲劇に対抗するように現れ「誰よりも君を愛す」と対決するが如く松尾和子の熱唱で知られるこの2曲が交互に時には同時進行で繰り返されるが最終的には松尾和子のあまりにも悲劇的であった事故死を彷彿させるがごとくクライマックスを迎える。その後、コーダが鎮魂歌のように静かに消えるように演奏され東京シンフォニー第三番の終結となる。