吉田正記念オーケストラ
東京シンフォニー第4番

吉田 正 交響組曲《東京シンフォニー第4番》

東京シンフォニー第4番
1.吉田 正 交響組曲《東京シンフォニー第4番》
・第1楽章
 街のサンドイッチマン/このみち/小さな酒場
・第2楽章
 ロンドンの街角で/赤毛のおんな/東京詩集/
 東京しぐれ
・第3楽章
 美しい十代/恋のメキシカン・ロック
・第4楽章
 想い出はリビエラの雨/いつでも夢を

試聴する(街のサンドイッチマン)


2. 異国の丘

試聴する(異国の丘)

作曲:吉田 正/編曲・指揮:大沢 可直 /
演奏:吉田 正 記念オーケストラ
VICL-61636 (定価)¥2,500
(ビクターエンタテインメント)




生命ある限り

解説 大沢可直



【第一楽章】
悲しみ、哀しみ、つまり悲哀がテーマの第一楽章は鶴田浩二初期の大ヒット、『街のサンドイッチマン』のテーマが悲哀と道化の入り混じったペーソス満点のトランペットの独奏で開始される。 悲哀とペーソスはこの楽章のみならず、東京シンフォニー第4番全体に共有される重要な楽想である。古いサーカス団の街頭行進の如く、悲哀に満ちた行進曲に一遍の涼風が吹く。それが、フランク永井の忘れ去られた名曲、『このみち』で表現される。
その叙情的な爽快感は松尾和子が“誰よりも君を愛す”でレコード大賞を受賞した昭和35年、大賞の次点であった同じく松尾和子の隠れた名曲『小さな酒場』によって悲哀とペーソスに満ちた行進に引き戻される。その楽想は、人生とは終焉に向かい、粛々と行進するものという比喩にも似た悲哀を感じる。運命に抵抗する感情の高まりで“小さな酒場”はクライマックスを迎えるが、そこに悲哀とペーソスに満ちたピエロ(街のサンドイッチマンのテーマ)が再登場する事で現実に引き戻され、運命の行進から逃れる事が出来ない無常の諦めをもってこの楽章は集結する。


【第二楽章】
人生の終焉に向かう葬送行進曲という発想から逃れるため、大都会を歩くというより、闊歩するという表現が妥当な第二楽章はクラクションと喧噪に満ちた都会の朝、昼、晩である。 昭和20年代の作品である小畑 実の『ロンドンの街角で』はまさに、当時の日本人がパリやロンドンの目抜き通りを意気揚揚と歩く青春の姿であり、人生の苦痛とは無縁のようだが、哀愁を帯びた楽想は前楽章の悲哀、ペーソスと基盤を一にするものである。
都会の夜は三田 明の『赤毛のおんな』そして都会の裏通りはフランク永井の『東京しぐれ』によって表現された後、鶴田浩二の『東京詩集』で夜の都会の煌めきが、一瞬の瞬きである事を知る楽想となり、都会の一日、つまり人生における喧噪の時が回想風に繰り返され第二楽章は集結する。


【第三楽章】
明るい青春時代をも悲哀が支配する。
三田 明の『美しい十代』は悲劇性を帯びたテンポで開始、展開して行く。
激しい情熱のピークはコミカルな太鼓のリズムに遮られ、登場する橋 幸夫の『恋のメキシカン・ロック』はひと時の青春賛歌である。
至福の気分は再度、悲劇的な美しい十代の甘いモティーフに遮断され、三楽章は終結する。


【第四楽章】
衝撃的な事故で人生のすべてを切り裂かれる悲鳴とも言うべき刺激的な強奏でこの楽章が始まる。人生を回顧する走馬灯の如く、一、二楽章で使用された『街のサンドイッチマン』『ロンドンの街角で』『東京しぐれ』が次々と現れては消える。特に『小さな酒場』の再現部は人生の終焉に向かう行進曲である悲哀を強く想起させる動機に使用されている。中間部に現れる哀愁に満ちた橋 幸夫の『想い出はリビエラの雨』は青春、人生の甘さと情熱への後悔に満ちた未練の表現のようでもある。やがて苦渋に満ちた楽想の中から強く、明るい希望が湧いてくる。
橋 幸夫、吉永小百合の歌唱により昭和37年度レコード大賞を受賞した『いつでも夢を』が力強い蘇生のテーマとして湧き上がり、盛り上がる事で人生の勝利の賛歌となる。その結果、人間として、すべて悲哀を断ち切って蘇生、復活、勝利する。
吉田メロディーがオーケストラ演奏で世界のムード音楽になった!!

吉田 正が亡くなって早いもので6年有余の月日が過ぎ、昨年の春には七回忌を期し生誕地の茨城県日立市に「吉田 正 音楽記念館」が開館した。
大衆の皆様に支えられ沢山のヒット曲を生み出し、国民栄誉賞まで頂戴した「吉田メロディー」を永遠に聞いて頂こうという吉田 正未亡人の願いの下、吉田 正 記念オーケトラが記念館に先立ち誕生してから今年(平成17年)で5年目の全国公演になり、東京シンフォニーと題した作品も第5番を数える。
吉田 正 記念オーケストラは懐かしいヒット曲を気軽にオーケストラ演奏で聴いて頂くという事を基本的な概念として設立されたが、以下、さらに評論家の論文などを掲載させて頂く事で既に録音発売されている吉田 正作曲「東京シンフォニー1番〜4番」の魅力をご理解頂きたい。

常陽新聞に今瀬文也氏が「吉田 正作品を聴く」という副題でコラムを書いている。

前略〜吉田 正の曲がクラシックに生まれ変わったのである。普通のクラシックと同じで四楽章から成り立っている。この第一楽章は「街のサンドイッチマン」がメインテーマで、行進曲風にアレンジされているフランク永井の「このみち」松尾和子の「小さな酒場」がその後登場する。歌謡曲がクラシックに変貌したのである。吉田 正の作品をただメドレー式に演奏すると思っていたので、驚くばかりであった。指揮の大沢さんは若い人たちに伝えるためには、クラシックの形が一番という。
第二楽章は都会の朝昼晩の作品が中心で、第一楽章の悲哀を受けているが「ロンドンの街角で」−小畑 実、「赤毛のおんな」−三田 明、「東京しぐれ」ーフランク永井、「東京詩集」ー鶴田浩二が流れる。この時代は都会の生活に地方の人があこがれ、上京し悲哀を感じるものが多い時代であった。 第三楽章は明るい青春時代の曲でまとめられている。「美しい十代」−三田 明、「恋のメキシカン・ロック」−橋 幸夫で起承転結の転の部として、モーツアルトの曲を聞いている気分にさせられた。
第四楽章は今まで登場したメロディーが何回か現れ、中間に橋 幸夫の「想い出はリビエラの雨」が入る。大沢可直さんはー青春、人生の甘さと情熱への後悔に満ちた未練の表現ーという。そして、名曲「いつでも夢を」で人生の勝利を描いている。
〜中略〜オーケストラは、吉田 正の名曲を東京シンフォニー第XX番としてCDを出している。我が国唯一のムードオーケストラの永久不滅と発展を祈っている。

「クラシック私だけの名曲」という新潮社から出版された宮城谷昌光氏の著書に吉田 正 作曲交響組曲「東京シンフォニー」(注 これは事実上、東京シンフォニー第1番と呼ぶべき作品であり、西暦2000年度日本レコード大賞の企画賞を受賞している)が取り上げられ以下のように紹介されている

〜これは軽音楽組曲であり、クラシック音楽ではない、といわれそうであるが、あえて採った。日本人が聴くと知っている曲がならんでいるが、外国人が聴くとどうなのであろう。〜中略〜第四楽章の編曲(編曲大沢可直)はみごとなものである。ロシアの曲かと思ってしまう。そういえば吉田 正はシベリアに抑留されていた。この組曲は雄大なスケールをもち、明るく、哀しく、美しいものである。〜と記載されている。また、今年惜しまれつつ他界した音楽評論家の故伊奈一男氏は「第三の音楽」という論文の中で「東京シンフォニー第2番」を評し、以下のように述べている。

〜純音楽(クラシック)が「上」で大衆音楽(ポピュラー音楽)が「下」という評価が導き出されるとしたら、それは基本的に間違った認識なのである。〜中略〜だから優れた演奏家同士の間ではクラシックとポピュラーの人的交流も行われ、レパートリーの共有だって可能になってくる。

〜中略〜吉田 正 記念オーケストラの誕生は、まさにそれを実証するための素晴らしいチャンスなのである。吉田 正作品の真価は歌手によって十分に再現される。それで十分というのがこれまでの常識であった。でも、それだけでは勿体無いじゃないかと痛感したのが指揮者大沢可直である。吉田 正作品を再構築してクラシックとポピュラーという二つの音楽の架け橋を作りたい、それによって吉田作品に別の角度から光をあてて新しい美しさを見出したいというのが彼の真の目的だと思う。

〜中略〜大沢の業績は吉田 正が作品を通じて何を表現したかったのかを模索し、そのメロディーを組み立てることでさらに美しい世界を創造しようという意図だと判断したい。ここには純(クラシック)でも大衆(ポピュラー)でも無い第三の音楽が生まれる可能性を期待してもよさそうだ。〜後略


上記、三編の論文にて明らかにされたように吉田 正 記念オーケストラが目指す指標はクラシックの大衆化であると同時に歌謡曲を芸術作品としてオーケストラ演奏する事によって、日本初の本格的ムードオーケストラが誕生したという事である。

そして、5年間にわたり吉田メロディーと指揮者の大沢によって育成された吉田 正記念オーケストラの奏者は大沢にとって、まさに手兵と呼ぶに相応しい演奏をこの4番のレコーディングでは聞かせてくれている。