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吉田 正 交響組曲《東京シンフォニー第5番》 合唱組曲付き |
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1. 吉田 正 合唱組曲
有楽町で逢いましょう〜街燈〜美しい十代 交響組曲《東京シンフォニー第5番》 2. 第1楽章 花のマーブル通り〜いつでも夢を〜愁夜〜東京恋情 3. 第2楽章 おまえに〜淋しい淋しい〜いつでも夢を 4. 第3楽章 夜が悪い〜寒い朝〜いつでも夢を 5. 第4楽章 恋をするなら〜いつでも夢を〜ああダムの町 〜哀愁の街に霧が降る 6. 合唱曲「異国の丘」 作曲:吉田 正/編曲・指揮:大沢 可直 / 演奏:吉田 正 記念オーケストラ VICL-61958 (定価)¥2,500 (ビクターエンタテインメント) |
吉田 正 交響組曲《東京シンフォニー第5番》 春夏秋冬〜いつでも夢を〜 解説 大沢可直 吉田メロディーをクラシックに編曲する東京シンフォニーというシリーズを手がけてから早いもので、もう5作目になる。怖いもの知らず夢中に書き、録音した第1番は2000年度レコード大賞企画賞を頂戴した。当時この作品には第1番という番号は冠していなかった。何故ならば東京シンフォニーは唯一無二のものであると考えていたので、第2番以後も書き続けるとは思っていなかった。 第1番は私の手兵であるトルコ国立イズミール交響楽団の来日公演で演奏、録音された。イズミール響は当時、地中海沿岸のオケでは実力NO.1の評価を受けていた芸術性を保持していたことも幸いし、それが第1番の成功に結びついた。 その後、予期せぬ事態となり、図らずも吉田 正記念オーケストラの創立、そして第2番以降の創作活動に入り、吉田メロディーといわれる吉田 正の作品から受ける重圧に押しつぶされる苦悶の日々に突入した。吉田メロディーは作品数だけでも2400曲を数え、単に接続曲風の組曲に処理した第1番に比べどのようにクラシックの様式美に整合させるか、また新設した吉田記念オケのサウンドの個性をどのような方向に導くか試行錯誤しながらたどり着いた作品が第5番である。 クラシックの世界に25年も身を置いたが、私の音楽人生における集大成は吉田メロディーをオーケストラ演奏で堂々と世に問う事である。終着駅に到着するまで膨大な数の吉田メロディーに取り組み、真の日本文化としての価値を将来(自分にとっては来世かもしれないが)に向け永久保存する決意で6番以降も書き続ける。 前作の4番が人生の苦楽と悲哀を全楽章を通してのテーマとした、ある意味での大作であった。そこで、第5番は自然との共生、日本の四季という優しさを全体の固定楽想として構成した。 【第一楽章】 「春の陽光を浴びる新緑」いう副題をつけた楽章は藤本二三代が昭和35年に歌った「花のマーブル通り」で開始される。大阪の心斎橋筋が新装開通した記念の曲であったような記憶がある。経済が成長し、商店街が活性化していく当時の明るい世相を反映したような春のテーマに相応しい曲調である。吉田 正の作風は歌い手の個性によって大きく異なる傾向があり、藤本二三代の曲には共通した甘さと情熱、乙女心の表現が盛り込まれており、常に、東京シンフォニーを構成するにあたり欠かせない貴重な作品群である。 第一楽章は古典的なソナタ形式で書かれており「花のマーブル通り」による提示部の後、第一主題では「いつでも夢を」がディベルテメント風に挿入されている。昭和37年橋 幸夫、吉永 小百合によって歌われたレコード大賞受賞の大ヒット作であるが、若い二人のフレッシュな歌唱はモーツアルトの爽やかさにも相通じると理解して編曲を試みた。 春の快活な気分とテンポの主題は昭和38年、フランク永井の「東京恋情」による第二主題にそのまま引き継がれる。「東京恋情」はフランク永井の数多いヒット曲の中でも「夜霧の第二国道」や「東京しぐれ」などに似た都会のけだるい情感を持った作品である。春の陽光を浴びた木々などの情景は一転して春の夜景に転じる。春の甘い夜風のような情景は昭和38年、フランク永井が歌った「愁夜」の演奏によって表現される。その後、展開部や再現部においては一楽章で使用された楽曲が交互に現れ最後に教会の鐘が鳴り、夏の楽想が提示され一楽章は終結する。 【第二楽章】 「夏の日差しを遮る雲と夕暮れ、そして祈り」 夏の日差しはじりじりと照りつけ、教会の煉瓦の外壁をも溶かすようである。木々に囲まれた教会のひと気が無い夏景色は不思議な無常観をかもし出す。昭和47年から52年にかけて繰り返し録音発売されたフランク永井の「おまえに」はロングセラーヒット作であり、吉田 正が最愛の夫人に捧げた佳作であるが、この二楽章では無常に照りつける夏の日差しに潜む残酷な無常観のテーマとして使用されている。やがて教会のミサが始まり「いつでも夢を」を変奏させたフーガの賛美歌が聞こえてくる事で夏の情景は一変する。風向きにより「いつでも夢を」のテーマが時折、はっきりと聞こえたり遠ざかったりする。 そして突然、厚い雲が日差しを遮り、夕暮れが近いことを実感する。昭和38年、星富佐夫の「淋しい淋しい」が不安感に満ちた楽想でチェロによって提示される。吉田 正が書いた星富佐夫のための一連の作品は何と甘く、情熱に満ち、そして切ないのであろうか! 星の高域に伸びのある歌声はビロードの歌声と称された津村謙を想起させるものがある。星のために書かれた作品は我々にとって宝物と言えるほど、他の吉田メロディーにはない独特の持ち味を提供してくれている。星富佐夫という一般的には忘れ去られてしまった歌い手のために残された作品がシンフォニー化された吉田メロディーの中では光り輝いている。「淋しい淋しい」が高揚して二楽章のクライマックスを迎えたところで「おまえに」が再現され、夏から秋への予兆を感じながら夏の楽章は終結する。 【第三楽章】 「秋の涼風と小鳥のダンス」 昭和35年、松尾和子の「夜がわるい」は男女が仲たがいをしても愛と未練ゆえに復縁する微妙な心理描写の甘いサウンドの曲であり、松尾和子が絶頂期の傑作である。それが三楽章では小鳥のさえずりという可愛らしい楽想に置き換えられている。弦楽器の主旋律に対比して木管楽器による副旋律は秋風が木々に涼しげにそよいでいる表現に使われている。中間部のワルツは昭和37年、吉永小百合とマヒナスターズによる初々しい歌唱でヒットした「寒い朝」が小鳥と秋風がダンスをしているような表現に使われている。 小鳥たちによる森の舞踏会は「いつでも夢を」が奏でる希望の動機で幕を閉じる。 【第四楽章】 「冬の嵐〜落雷の後の陽だまり〜霧に覆われた夕闇の街の冬景色」 「潮来笠」での鮮烈なデビュー以来、股旅歌謡を中心に歌っていた橋 幸夫に突如ベンチャーズ式のエレキブームを先取りして昭和39年、「恋をするなら」を歌わせた吉田 正はプロデューサー的なセンスもある作曲家と言われた。 四楽章は晩秋に吹き荒れる風が激しさを増し、元来、夏をイメージして作曲されたと思われるリズム歌謡の処女作、「恋をするなら」をここでは冬の嵐の象徴として使用している。落雷の音はやがて遠雷となり、束の間の陽だまりが出現する。昭和31年、三浦洸一の美声で歌われた「あゝダムの町」と「いつでも夢を」がクロスして現れ、穏やかなひと時の冬景色を奏でる。 突如、厳しい寒風が吹き、凍りつく自然に翻弄されるテーマとして昭和31年、正統派美男の俳優である山田真二によって甘く歌われた「哀愁の街に霧が降る」が使われている。 その後、クライマックスを迎える場面では昭和40年に久保浩が歌った「恋物語」のテーマが印象的に出現する。そして寒風の収まった冬景色の街は夕闇とともに霧に覆われる。 繰り返し演奏される「哀愁の街に霧が降る」は幻想的な霧の中の古びた町並みに立つ吉 田正の魂が我々を見守りながら、徐々に昇天していく描写である。シンフォニー全体のメインテーマは4楽章を通して現れる「いつでも夢を」であるが、印象の強さは間違いなく「哀愁の街に霧が降る」であろう。消え行くメロディーの美しさは筆舌が不能な吉田メロディーの真髄である。 | |

