吉田正記念オーケストラ
吉田正 タンゴアルバム II

「吉田正 タンゴアルバム II」 <2006年度日本レコード大賞企画賞受賞作品>

吉田正 タンゴアルバム II



1.再会            11.好きだった
2.好き好き好き       12.みなと神戸のお嬢さん
3.たそがれシャンソン   13.誰よりも君を愛す
4.恋のメキシカン・ロック 14.弁天小僧
5.場末のペット吹き    15.夜霧の第二国道
6.薔薇の涙         16.夜空のブルース
7.ラブ・レター        17.江梨子
8.西銀座駅前        18.霧の中の少女
9.ごめんねチコちゃん   19.宝石
10.哀愁            20.霧子のタンゴ



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(好き好き好き)

作曲:吉田 正/編曲・指揮:大沢 可直 /
演奏:吉田 正 記念オーケストラ
VICL-61959 (定価)¥2,500
(ビクターエンタテインメント)




吉田メロディーがタンゴになった!!

曲目解説     大沢可直 (指揮、編曲者)
敬称略  注* カッコ内の文はすべて吉田正自身が書いた文献資料からの引用です。



タンゴは明治維新の頃、スペインからハバネラのリズムがキューバを経由してアルゼンチンやウルグアイに渡った事がルーツと言われている。タンゴと言えばバンドネオンという楽器が欠かせないが、ドイツ人のバンドさんという名の人が、明治維新に先立つ30年ほど前、中南米に移民をする人々がオルガンの無い現地の教会でも賛美歌の伴奏が出来るように開発した携帯オルガンがバンドネオン初期の用途であった。その後、ブエノスアイレスやモンテデビオの場末の酒場で俗謡としてのタンゴが確立したのが明治中期頃であり、バンドネオンもタンゴの歯切れの良いリズムを象徴する楽器となり、演奏される場所も教会から酒場へ移った。
明治後期になるとアルゼンチンの演奏家や踊り子がヨーロッパで公演をするようになり、歯切れの良いリズムで大成功した。その代表作が「エル・チョクロ」であり、後に「キス・オブ・ファイヤー」という題名のポピュラーソングになり欧米全域でのヒットとなった。
大正末期のフランシスコ・カナロ楽団のパリ公演は大きなセンセーションでウルグアイのロドリゲスという名もない学生が作曲した「ラ・クンパルシータ」が爆発的にヒットする契機となった。

この頃から昭和初期にかけてヨーロッパ各国でもタンゴの名作と呼ばれるに相応しい作品が続々と誕生する。その双璧がデンマーク人(と言っても名前から推察するとユダヤ系の人か?)のヤコブ・ガーデ作曲の「ジェラシー」とドイツ人ヨゼフ・リクスナーによる「碧空」であろう。その他、ドイツ人のガーツはビゼーのオペラ「真珠とり」のテーマを編曲して「真珠採りのタンゴ」を作曲したり、同じくドイツ人のアーウィンは「奥様お手をどうぞ」、イタリア人のシェリエールが「バラのタンゴ」、アメリカ人のホーリックがロシア民謡を題材に「黒き汝が瞳」、フランス人のマルドレンが「夢のタンゴ」、その他のヒット作品は枚挙にいとまがない程であり、まさにタンゴは世界的大ブームになった。
このブームが昭和初期、都会的な歌謡作品が欠乏していた我が国に影響を及ぼさないはずがなく、ディックミネや淡谷のり子が競って日本語訳の歌詞でヨーロッパ製のタンゴを歌いヒットを飛ばした。「ポエマ」「小雨ふる道」などはその代表作であろう。双葉あきこや松島詩子もその中のひとりであるが、タンゴとして作曲された「小さな喫茶店」はむしろ日本ではシャンソンとしてのイメージが強く、この時代にはタンゴがシャンソンにも深く浸透していた状況を彷彿させる。

ヨーロッパ製のタンゴをコンチネンタルタンゴと呼称するのは日本だけであり、昭和30年代にヨーロッパではジャズに取って代わられ、既にブームが去っていたタンゴを日本の愛好家と業界が盛んにプッシュし、ドイツの放送局でムード音楽を総合的に録音していたアルフレッド・ハウゼ楽団をタンゴ楽団に仕立て、オランダのマランド楽団と併せ頻繁に来日公演の招聘とレコード販売キャンペーンを繰り返した事によって日本独自のタンゴ風ムード音楽とも言うべきコンチネンタルタンゴというジャンルが確立した。
欧米においてはタンゴは単にタンゴであって日本のようなジャンル分けはしていないようである。
吉田 正 記念オーケストラは吉田メロディーをクラシック化して演奏する事を演奏活動の中核としているが、日本初のフル編成による常設のムード音楽専門のオーケストラでもあり、アルフレッド・ハウゼのスタイルを踏襲し、吉田メロディーのハウゼ風コンチネンタルスタイル編曲による演奏も好評を得ている。しかし、吉田 正 記念オーケストラによるタンゴ演奏はただ、それだけで語り尽くせるものではない。昭和初期にタンゴが世界を制覇していた頃の面影もソロバイオリンやベース、バンドネオンなどの編曲部分に色濃く出ており、後述のオルケスタ・ティピカ的な要素も含んでいる。

吉田 正 記念オーケストラによるタンゴ演奏はダンスの伴奏というよりも観賞用の側面が強くタンゴ楽団としては異例の35名を上回る大編成で演奏される。タンゴの楽団編成はオルケスタ・ティピカと呼ばれ英語で言うところのティピカル・オーケストラ、つまり標準的楽団という事になる。明治後期にビセンテ・グレコ楽団がタンゴの世界で初めてオルケスタ・ティピカを名乗ったが、当時の編成はギター、バンドネオン2人、バイオリン2人、フルートという6重奏であった。大正から昭和にかけてオルケスタ・ティピカの標準編成は弦楽器のセクションを増やす事で10人前後の編成が多くなった。現在のバンドネオン、ピアノ、コントラバス、バイオリンの組み合わせによる少人数の形態はフリオ・デ・カロ6重奏団が原型である。
更に、昭和初期には大編成化の試みが盛んに行われ管楽器や打楽器も加えた16人編成前後の楽団はオルケスタ・ティピカに対しグラン・オルケスタと呼ばれたが昭和中期から大東亜戦後にかけてジャズが隆盛した事により大編成のタンゴ楽団は人気が衰退し、ポピュラー音楽の王座をジャズに奪われてしまう。

近年になり、ピアソラやモーレスが大きな編成のオーケストラで大衆志向を持ちつつ、新しいタンゴの創造を目指した。しかし、タンゴ本来の歯切れの良さという持ち味は前述の6重奏団編成がより効果的である事に加え、経済性という事情もあり(酒場で15人以上の編成で演奏するには、スペースと経費両面がネックとなる)、現在のタンゴ演奏は殆ど小編成楽団によって公演されているのが実情である。今回の吉田 正 記念オーケストラ録音では古典的な6重奏団(オルケスタ・ティピカ)に編成の大きな弦楽器群をミックスした結果、タンゴ本来の持ち味を失う事なく、アルフレッド・ハウゼ楽団のようなムード音楽の要素を加えたスケールの大きさと、歯切れの良さという両方の特徴を兼ね備えた。吉田メロディーの特性を生かし、豪華な編成と編曲ではあるが、哀愁細やかに演奏されたサウンドがここに実現した。いずれにしろ、正真正銘、世界最大編成のタンゴオーケストラである事は間違いない。



1. 再会  (昭和35年8月発売 松尾和子)
【この曲は本年私の作った曲の中でもテーマ、メロディーなど最もすきなものの一つです。もし佳作といえるなら、この曲ではないかと自負しています。監獄にいる恋人の帰りを待っている女性の哀しさを表した佐伯先生の詩があまりにも見事だったので、それに引き出されて書きました。私の作品の中では数少ないワルツの曲です。】
アルバムの幕開けに相応しくオーソドックスなコンチネンタル様式で編曲した。「再会」と同時に作曲したと言えなくも無い、「潮来笠」(再会発売の前月である35年7月発売)を発想できる吉田 正の幅広い作風には驚嘆させられる。


2. 好き好き好き  (昭和34年11月発売 フランク永井)
【同題の大映映画主題曲としてフランク君のために書いたも、私としては、この曲にフランク君の新分野を開こうと、スイング調のものにしましたが、ジャズを唄っていたフランク君が実によく唄ってくれました。34年10月20日作曲】
衝撃的と言えるほどの快活なテンポで演奏した結果、アルゼンチンで発祥したタンゴの原点ともいえる歯切れの良さを重点に編曲した意図が充分に発揮できたと思う。


3. たそがれシャンソン  (昭和32年1月発売 フランク永井)
吉田正がフランク永井のために書いた3作目、つまりポップス歌手としてのフランク永井の持ち味を生かした軽妙な作品である。歌謡曲としてではなく最初からタンゴとして書かれた作品であると想定して編曲した結果、フランス人がシャンソン風にタンゴを作ったように仕上がった。吉田 正にはフランス人の感性も宿っていたのであろうか!


4. 恋のメキシカンロック  (昭和42年5月発売 橋 幸夫)
ベンチャーズに代表されるエレキブームを先取りした吉田 正が「恋をするなら」を39年に発表した。リズム歌謡というジャンルを確立して橋 幸夫が次々にヒットを飛ばし、ゴーゴーダンスを踊る若者たちに熱烈な支持を受けた時代であった。そのリズム歌謡の最終作となるこの曲の編曲は、原曲のイメージを色濃く残し当時の熱狂を再現してみた。


5. 場末のペット吹き  (昭和31年10月発売 フランク永井)
米軍相手のクラブなどでジャズを歌っていたフランクが吉田メロディーを歌った記念すべき第一作である。後年、吉田 正は「都会調吉田メロディーの誕生はフランクという稀有な素材のお陰である」と述懐しているが、フランクにとっても吉田メロディーによりその才能が開花された事実は否定できない。この曲は都会の裏を描いた独特の曲調を持っているため、あえて極端にタンゴらしく変えたりせずに原曲の雰囲気を残し、当時の盛り場のうらぶれたムードをかもし出す編曲をした。


6. 薔薇の涙  (昭和43年4月発売 三田明)
「美しい十代」で38年にデビューした三田 明を青春歌謡歌手から大人のムードを唄える歌唱派に脱皮させるため、膨大な作品の数を書いていた時期の代表作のひとつである。ラテンの哀愁を感じさせる原曲の雰囲気が壊れないように心がけながらタンゴに編曲を試みた。


7. ラブ・レター  (昭和33年6月発売 フランク永井)
【 I love you, I love you ラブ・レターとはこの言葉を書くためのも、表現はいろいろ違っても……この曲のポイントもそうです。私がフランク君に書いたものの中でも、特に好きな作品です。33年5月作曲】
現代タンゴの巨匠ピアソラ風のミロンガといわれるリズムで仕上げた。吉田 正が深夜に洋酒の入ったグラスを片手にソファに座り、この曲を聞いているという情景を想像しながら編曲した。次のトラックに収録してある「西銀座駅前」とワンセットにして聴いて頂ければ幸いである。


8. 西銀座駅前  (昭和33年5月発売 フランク永井)
【地下道を抜けて地上に出ると、パッとまぶしいネオンの洪水、おしゃれ横丁をひやかして右に折れるとジャズ喫茶「ACB」、ドアを開けるとロカビリーが表まで飛び出して来ました。ABC、XYZ、英語に弱い私にもこんな曲が出来ました。33年3月作曲】
この曲は歌詞をはずし、演奏のみで聞けば多種多彩な編曲が可能になる不思議な持ち味がある。メロディーそのものが強烈にアピールする都会の哀愁をミロンガのムードに溶け込ませる編曲を試みてみた。


9. ごめんねチコちゃん  (昭和39年5月発売 三田明)
「美しい十代」で当時の若者を虜にし、写真家秋山庄太郎をして三田 明が日本一の美少年だと言わせた頃の青春ソングである。この曲をタンゴにするには勇気と工夫が必要であったため、コンチネンタルタンゴの代表作のひとつである「小さな喫茶店」をイメージして編曲をしてみた。すると、吉田メロディーの魔力というか、原曲の青春ソングは一転して品の良い貴婦人がテラスでお茶を飲んでいる光景が浮かぶようなタンゴに仕上がった。


10. 哀愁  (昭和34年12月発売 三浦洸一)
題名の文字通り哀愁に満ちた作品でタイトルがすべてを物語っているのではなかろう か!後年の「恋しても愛さない」、「街角のノスタルジー」などクラシックの雰囲気がある三浦洸一の美声を十分に生かした作品群の先駆けとなった名作である。曲の構成など吉田作品の代表作に数えるべきこれらの力作は3曲とも一般には忘れ去られてしまった。そこでタンゴに編曲して聞いてみれば海外の著名なタンゴと比べられても聞き劣りのしない素晴らしい出来栄えになった。


11. 好きだった  (昭和31年10月発売 鶴田浩二)
【 宮川哲夫君にタイトルをプレゼントして出来上がった、国語体の詩を読みながら、鶴田君の甘い顔とソフトな声を頭にえがき、約一ヶ月かかって作曲しました。なおこの曲はマヒナスターズ最初のコーラス盤となりました。31年6月作曲】
極めて自然にタンゴになる素材であったため比較的テンポの速い快活な演奏を心がけつつも原曲の甘さも残す編曲にした。


12. 港神戸のお嬢さん  (昭和26年10月 久慈あさみ)
都会調、吉田メロディーのルーツではないかと言われる久慈あさみ(宝塚出身で男役スターであった)歌唱の「女豹の地図」に先立つ一ヶ月前にこの曲が発売された。昭和20年代の吉田 正は「異国の丘」から都会調吉田メロディーを確立するまでの過渡期と捉えられてしまうが、作品的には価値の高い宝の山ばかりであると言っても過言ではない。しかし乍らヒットした作品数や年代の問題のため、その大半が大衆の記憶には残っていない。タンゴになったこの作品は決して古臭い感じがしないどころか、ヨーロッパ人が作曲したもののようにも聞こえる。神戸の洋館のアールデコ風なインテリアの一室にたたずむお嬢さんの姿を想像しながら聞いて頂きたい。


13. 誰よりも君を愛す  (昭和34年12月発売 松尾和子)
【タイトルは週刊明星に連載されていた川内康範さんの小説と同題で、私と川内さんのコンビ第一作です。偶々、松尾君とマヒナのソフトなムードとドラマスティックなストーリーがプラスされこの曲がヒットした気がします。34年9月29日作曲】
前年の水原 弘「黒い花びら」に続く昭和35年第二回 日本レコード大賞の受賞曲です。歌 謡曲の黄金時代でレコ大の価値が極めて高かった時の受賞作であるが、その年の大賞次点曲も松尾が歌った「小さな酒場」であった。この事実からしてこの頃は紛れも無く松尾和子の時代であったと言える。


14. 弁天小僧  (昭和30年2月発売 三浦洸一)
【三浦君に何とかして明るいリズミカルなものをと考えていた矢先、「お富さん」の大流行である。二番せんじといわれるのは覚悟の上、三浦君のために書こうと決心した。お富さんが長音階ならこちらは短音階で行こうと……しかしこの「弁天小僧」をきくたび感ずるのは、これは曲でなく詩で流行したのだと……。29年12月作曲】
日本調のこの曲をタンゴにするためには和洋折衷にする必要があったため、純クラシック的なバイオリンのカデンツを挿入する必要があった。しかし書き進めてみると憂慮すべき点はすべて杞憂に終わり独特の味わいをもつタンゴらしい作品になった。これは詩をはずせば音楽として十分に西洋音楽の感性があったことを物語っている。


15. 夜霧の第二国道  (昭和32年10月発売 フランク永井)
【 この曲は特に前奏に重点を置き、ムードを出すことに努力しました。頭に浮かんだメロディーを口ずさみ乍ら、夜の第二京浜国道を車で何回か往復したことを、なつかしく思い出されます。32年7月作曲】
軽いタンゴとしてさりげない演奏を試みましたが奥深く潜む哀愁のため、力演してしまう場面が随所に見受けられた。高速道路のなかった当時に国道を走る自家用車のスピード感をイメージできるタンゴになるように編曲をした。


16. 星空のブルース  (昭和38年6月発売 星 富佐夫)
ビロードの歌声と称された津村謙を彷彿させるような美声の素材があったゆえに誕生した作品であると考える。昭和38年は橋 幸夫、三田 明など現代風の表現で言えばアイドル歌手の全盛期である時期にこのような作品を生み出した事が吉田 正の真骨頂であろう。弦楽器の全奏で表現される満天の星の場面はオーケストラによる美の極致ともいえる程である。バイオリンソロによる提示はその後の情熱的な展開部を経て、バイオリンソロの再現で終結するのであるが、聞き終わった後の余韻は誰の心にも印象深く残る、美しく透き通るような星空である。


17. 江梨子  (昭和37年1月発売 橋 幸夫)
潮来笠の大ヒットでスターダムに上り詰めた橋 幸夫が約2年間歌い続けた股旅歌謡シリーズから転身した作品である。この青春文芸シリーズから後にはリズム歌謡も歌わせるのだからプロデューサーとしての吉田 正の手腕も見逃せない。この曲の持ち味をそのままタンゴにして演奏した。


18. 霧の中の少女  (昭和39年6月発売 久保 浩)
今回のアルバムの中では最もグランオルケスタといわれる大人数の弦楽器のサウンドを生かした編曲である。通常タンゴはオルケスタティピカといわれる小編成で演奏される事が多いためこのような拡がりをもったタンゴの録音は珍しい。


19. 宝石  (昭和35年10月発売 松尾和子)
松尾和子のデビューに際し、当時のビクター営業部の会議では「息だか声だか分からない」との酷評で松尾の吹き込みに否定的であった。万が一、松尾の才能と世相を見通した吉田 正が熱意を込め営業部を説得しなかったら、その後の松尾時代は到来しなかった事になる。昭和34年7月「グッド・ナイト」でデビューを飾る際に松尾をマヒナスターズと組ませたのも吉田 正の発案であり、その後の女性歌手の殆どがマヒナスターズとの組み合わせで成功を収めるビクターのパターンは吉田 正が創り上げたことになる。宝石というタイトルに相応しい妖艶なムードを持つこの曲は華麗なバイオリンのソロとゴージャスな雰囲気のピアノカデンツで表現されている。松尾時代の絶頂期に作られたこの曲は「再会」他のヒット曲の陰に隠れてしまってはいるが、このアルバムに録音されたことで新たな脚光を浴びるべき秀作であると信じている。


20. 霧子のタンゴ  (昭和37年10月発売 フランク永井)
原曲の題名がタンゴと付いたヒット曲がある以上、この曲以外でこのアルバムを締めくくる事は出来なかった。最初からタンゴとして作曲をされたこの作品に対する一般のイメージが大きく変わる事のない編曲を心掛けた。吉田 正 記念オーケストラに先駆けてオランダのマランド楽団もこの曲を吹き込んでいるため奇しくも日欧のタンゴ合戦のようになった。吉田メロディーが世界のマーケットで評価されるべき時代の象徴であろう。