吉田正記念オーケストラ
吉田正 タンゴアルバム V

「吉田正 タンゴアルバム V」

吉田正 タンゴアルバム V



1.恋をするなら         2.初恋の山
3.加茂川ブルース       4.そこは青い空だった
5.西銀座裏通り        6.落葉しぐれ
7.ピンクの灯りを消さないで 8.炎
9.公園の手品師        10.団地のお嬢さん
11.夢見る乙女         12.香港の夜
13.明日は咲こう花咲こう  14.も一度逢いたい
15.軽井沢物語        16.追憶の女
17.夜、一人で聞くムード曲のメドレー
      <泣かないで〜小さな酒場〜おまえに>
18.泪のブルーギター    19.街のサンドイッチマン



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(加茂川ブルース)

作曲:吉田 正/編曲・指揮:大沢 可直 /
演奏:吉田 正 記念オーケストラ
VICL-62341 (定価)¥2,500
(ビクターエンタテインメント)




世界最大編成のタンゴオーケストラで聞く吉田メロディーの数々!

タンゴプログラム解説     大沢可直 (指揮、編曲者)



戦前から戦後にかけてタンゴが歌謡曲や映画音楽に与えた影響は大きい。
古賀政男の「赤い靴のタンゴ」から吉田正の「霧子のタンゴ」まで、タンゴのリズムで書かれた歌謡曲は数に限りがない程である。1930年代(昭和初期)の欧州における軽音楽の王座はタンゴであった。大東亜戦争後の昭和30年代にはアルフレッドハウゼ楽団などの来日公演が相次ぎ第二次タンゴブームのピークを迎え、コンチネンタルタンゴという呼称が招聘元などによって確立された。その当時はレコードスタジオを始め、全国のダンスホール、ナイトクラブ、キャバレーなどで多くの邦人タンゴ演奏家が活躍、タンゴ楽団も20を越える程の盛況であった。

しかし時代は変わり、ジャズやロックに主役の座を明け渡してからはタンゴ楽団の花形楽器であるバンドネオンの奏者の殆どが姿を消してしまっていたが、昨今はタンゴの原点ともいえる小編成のアルゼンチンタンゴが静かなブームで復活を遂げたため若手タンゴ奏者の活躍も目立つようになってきた。しかし、大編成のオーケストラによるタンゴは復活したとは言い難い状況である現在、ハウゼ楽団を凌ぐ34名編成による吉田正記念オーケストラによるタンゴ演奏は正に希少価値の極みで世界の楽壇を見渡しても唯一無二の存在である。

タンゴは約100年前にアルゼンチンで発祥したとされている。タンゴ創世記の名曲「エル・チョクロ」が明治時代から継続して現在も頻繁に演奏されている事実は、世界の軽音楽の中でも際立って息が長い。タンゴの持つ哀愁溢れる表現はアルゼンチンが長くスペインの植民地であった歴史と無関係ではない。当時のブエノスアイレスは欧州との貿易で栄えた南米随一の大都会でありパリのようにカフェやレストランが立ち並ぶ豪奢な街であった。しかし貧富の差は激しく下層の港湾労働者の住む下町にはスペインやイタリア、ドイツなどからの移民が集まり、娼婦などがたむろする場末の酒場などで移民の生活苦を紛らわすために誕生した音楽がタンゴだとされている。

スペインからの移民が持ち込んだハバネラのリズムとクラシック音楽の要素に原住民のインディオ音楽が融合したタンゴは当初、港町ブエノスアイレスの下町の流行音楽にすぎなかったが、大正時代から始まったアルゼンチンからのタンゴ楽団による欧州ツアーの成功は昭和元年に大編成のフランシスコ・カナロ楽団がラ・クンパルシータの大ヒット曲と共にパリ公演をきっかけに欧州中に爆発的な流行を見せると、タンゴは軽音楽の王様として世界を席巻する事になった。

タンゴの魅力はクラシックの奏法とは若干異なる、咽び泣くようなバイオリン奏法と強烈なタッチで弾くピアノにある。そしてドイツ人のハインリッヒ・バンド氏が江戸時代末期に開発したバンドネオンはドイツ移民によって移住先であるアルゼンチンの教会にパイプオルガンの代用品として持ち込まれた。やがてバンドネオンは何時の間にかタンゴの華といわれるような存在になった。数多くのボタンが両脇に付いている事で和音とメロディーを同時に弾ける機能とダイナミックな音量の増減が可能な事による表現の優位性により、初期のタンゴ楽団で使用されていたギターからその役割りを奪い取った。昭和初期に欧州で全盛を極めたタンゴはよりクラシックに近い編成で指揮者が棒を振るオーケストラによる演奏が主流となり小編成のオルケスタティピカに対し、グランオルケスタと呼ばれるようになった。

欧州で隆盛を極めた時代には我が国の歌謡作家に大きな影響を与えた名曲が続々と登場した。フランス人が作曲した「夢のタンゴ」、イタリア人による「バラのタンゴ」、ドイツ作品「奥様お手をどうぞ」、そして大正13年にはデンマークの「ジェラシー」、アメリカ人による「黒い瞳」、その他「碧空」「夜のタンゴ」「小雨降る径」「ポエマタンゴ」など数え切れないほどのヒット曲が欧州から輩出された。日本では、それらをアルゼンチンタンゴと区別して、ヨーロッパ大陸生まれのタンゴ、コンチネンタルタンゴと呼んでいる。
しかし、当のヨーロッパにおいてはコンチネンタルタンゴという呼称は存在していない。昭和30年代にビクターレコードなどがドイツでムード音楽全般を録音していたアルフレッドハウゼ楽団をコンチネンタルタンゴ演奏の専門楽団として繰り返し招聘、来日公演とレコード録音販売も併せ、欧州のタンゴをソフトタッチに演奏させた事でコンチネンタルタンゴという呼称が日本だけに定着したというのが真相である。

吉田正記念オーケストラはムード楽団としてのハウゼスタイルを踏襲しながらも随所に歯切れの良いリズムを重視するオルケスタティピカスの古典的なタンゴのスタイルを混在させた独自の編曲で演奏している。





1. 恋をするなら (昭和39年 橋 幸夫)
咆哮するエレキギターの伴奏で歌われたリズム歌謡の第一作「恋をするなら」。原曲のイメージを維持しながら、落ち着いたオーソドックスなタンゴに仕上げました。

2. 初恋の山 (昭和34年 フランク永井)
吉田 正の生涯をモティーフにした交響組曲「東京シンフォニー第6番」の第一楽章には若き作曲家の青春と初恋の気分を象徴するテーマとして挿入したが、タンゴでは爽やかなやまびこと山の空気を想像しながら軽い気分で聞いて頂きたい。

3. 加茂川ブルース (昭和43年 フランク永井)
フランク永井のヒット曲とすれば比較的後期の作品であり、都会調の吉田メロディーとは一風異なる粋な京歌である。原曲の粋な味をベースにモダンなタッチでの編曲を試みた。

4. そこは青い空だった (昭和39年 橋 幸夫・吉永小百合)
「大空に乾杯」という日活映画の主題歌であり、ボーイング727が新鋭機として日本の空を飛び始めたフレッシュなイメージをそのまま残しタンゴにアレンジ。雲を抜け、上昇すると、そこには日本の青く広がった空がある、という描写をそのままオーケストラの音で表現させてみた。

5. 西銀座裏通り (昭和34年 朝倉ユリ)
松尾和子とともに都会調吉田メロディーの黄金時代を担った女性歌手の一人である朝倉ユリが唄った夜の都会の裏町イメージをミロンガのリズムによって表現してみた。ミロンガとは、本来はブエノスアイレスで、タンゴや他のリズムのダンスを踊って楽しむ場所の事だが、ハバネラのリズムから派生したタンゴのバリエーションのひとつという解釈、定義も存在する。

6. 落葉しぐれ (昭和28年 三浦洸一)
一世を風靡したポピュラーピアニストであるカーメンキャバレロ風のピアノソロで始まる異色なタンゴになった。若き吉田正の清廉な作風は弦楽器を順番にずらし、エコーがかかっているような印象を与える技法で処理をした。昭和30年から溢れるように生み出された都会調吉田メロディーの誕生前後とも言うべき時期に発表された作品である。

7. ピンクの灯りを消さないで (昭和35年 松尾和子)
8. 炎 (昭和35年 松尾和子)
この2曲は余人が入る余地の無い、吉田正と松尾和子の師弟コンビによる独特なムードの世界である。この時代、吉田正は松尾和子に2ヶ月に一枚のレコード表裏面で2曲というハイペースで新曲を書いているが、どれも後世に残すべき秀作ばかりである。「ピンクの灯りを消さないで」は甘いムード満点の曲だが、「再会」と同じ35年8月発売の「炎」は題名の如く更に妖艶、濃厚な夜のムードのキャラクターを持つ曲であり、吉田正タンゴアルバムの第二集に録音した「宝石」の続編という感覚で編曲した。昭和35年に発売の「吉田正ムードメロディー」というLPレコードのジャケットに書かれた吉田正自身の解説文から引用する。〜”「ピンクの灯りを消さないで」この唄というとすぐ松尾君のセクシーな唄だと言われる方が多いのですが、私としては、別にそれを狙ったのではなく、たまたま曲の感じが松尾君の持つムードとマッチしたものだと思います。メロディーは私の曲の中でも好きなものの一つです。(昭和35年1月19日作曲)”〜

9. 公園の手品師 (昭和33年 フランク永井)
吉田メロディーとフランク永井は双生児のような関係であり、前述の松尾和子同様に切り離して語る事は不可能である。しかしこの曲に限ってはシャンソンのエスプリを理解する歌い手であれば誰が歌ってもヒットしたように思える。和製シャンソンとしての持ち味を強調するように「パリの屋根の下」からモティーフを導入したり、パリのカフェを連想するようなタンゴ「小さな喫茶店」のイメージも盛り込んで編曲をした。

10. 団地のお嬢さん (昭和37年 山中みゆき)
戦後の高度成長期である昭和30年代にはそれ以前の木造バラック建築といわれた文化住宅に代わりコンクリートで建てられた大規模な公団住宅の建築が推進された。「団地のお嬢さん」の弾むようなメロディーはそのような明るい世相を反映していた。サンダル履きで軽いスキップを踏む女性のイメージをピアノのタッチで表現してみた。

11. 夢見る乙女 (昭和32年 藤本二三代)
「有楽町で逢いましょう」のB面に収録されていたので大ヒット曲の陰で静かにヒットした形となったが、この歌単独でも大流行する要素は十分にあった。藤本二三代のための一連の作品は松尾和子に書いたものとは持ち味の違う吉田メロディーであった。藤本の可憐で薄幸そうな容姿からの連想であろうが、乙女の純情と形容するようなメロディーを正統派のタンゴらしいスタイルで編曲を試みた。中間部に挿入した清涼感のある曲は「このみち」(昭和39年 フランク永井)である。
清純な乙女のタンゴに青春の詩のような曲をどうしてもミックスしたい衝動にかられた結果、このような編曲になった。

12. 香港の夜 (昭和34年 フランク永井)
昭和34年9月、「ラブレター」と同時に発売されたためヒット曲の陰に隠れてしまった作品だが忘れ去られてしまうには惜しい名作だと思う。何といっても「香港の夜」というタイトルが秀逸である。タンゴの軽いリズムを排除してミロンガの範疇で処理をして、国際都市香港の闇に立つニヒルな容貌の俳優(鶴田浩二)が主演する映画のシーンを見るようなイメージで編曲をした。

13. 明日は咲こう花咲こう (昭和40年 三田 明・吉永小百合)
明るい調子のメロディーと哀愁を帯びた短調のメロディーの移り変わりがポイントの曲なので「小さな喫茶店」風の可愛らしいピアノ演奏と弦楽器に編曲技巧によるエコーを深くつけた哀愁の表現の対比を際立たせる編曲をした。

14. も一度逢いたい (昭和38年 星富佐夫) 昭和20年代の後半、ビロードのような高音と評され日本歌謡史に冠たる美声歌手は津村 謙であった。星 富佐夫は、その津村 謙を彷彿させる美声をソフトな含み声にした声と歌唱力を備えていた。そして昭和38年、吉田メロディーとしては異色の作品が星 富佐夫を素材として誕生した。感情表現のピークに達しても、更なる頂点を求め感情が沸騰するという作風はタンゴの持つ熱情という特徴にマッチした。しかし、そのスケールの大きさは単にタンゴというより、シンフォニックタンゴと形容しても良いような境地に達した。

15. 軽井沢物語 (昭和38年 鰐淵晴子) バイオリンの独奏で開始される序奏部は上品で良き時代の軽井沢を想起させる。旧軽井沢の銀座通りは落ち着いた佇まいを残し、まだ沓掛と呼ばれていた中軽井沢。北軽井沢などという観光的地名は存在せず、群馬県嬬恋村であった。そこから草津まで草軽鉄道というローカル線が走り、その単線の鉄道に乗るシーンから始まる高峰秀子主演の「カルメン故郷に帰る」が日本初の総天然色映画として封切りされた頃の高原の空気。そのすべてが軽井沢物語の序奏に盛り込まれている。鰐淵晴子が歌う歌詞の中には当時の皇太子殿下が正田美智子さんとロマンスを育んだ軽井沢会テニスコートを連想させる部分もある。表題音楽という1つの形式を勘案した上で「軽井沢物語」は見事に良き時代の避暑地の空気まで運んでくれる作品である。原曲の上品で軽やかなイメージをそのまま生かし、タンゴに編曲した。

16. 追憶の女[おもいでのひと] (昭和33年 フランク永井) 今回のプログラムの中で最も自然にタンゴに変貌した曲、というよりもタンゴで演奏されるために書かれた作品と思える。今回のアルバム随一の自信作としてお薦め出来る編曲に仕上がった。以下は吉田正本人の解説文を記載する〜昭和32年7月31日に書いたものです。(注:発売は33年1月)この曲は第2集の中で一番古い作品ですが、わたしはこの地味な曲が大好きで、忘れることが出来ず、ここに採りあげたのです。わたしの曲の一つのジャンル“ラブレター”“グッドナイト”等の曲はこの曲が母胎となって生まれてきたのです。〜

17. 夜、一人で聞くムード曲のメドレー
  (泣かないで:昭和33年 和田 弘とマヒナスターズ/小さな酒場:昭和35年 松尾和子/おまえに:昭和41年 フランク永井)

演奏時間は10分を越えるというタンゴとしては異色の大作になった。リズムはハバネラから派生したミロンガを基本に夜のムードを演出した。仮にこの3曲メドレーを交響作品として捉えるのであれば「泣かないで」は序奏〜提示部に充当する。展開部が「小さな酒場」そして終結部が「おまえに」である。夜の都会を歌った吉田メロディーの幕開け〜花開いた黄金期〜そして、二人三脚で仕事を支えた吉田夫人への感謝と都会のムードの完結という3部作のストーリーとして構成したタンゴ作品でもある。「泣かないで」は先日、逝去した三原さと志が甘いバリトンのソロで歌っていた。吉田正本人が書いた解説書より記載する〜“ビルの灯りが一つずつ消えてゆき、霧が流れはじめた夜更けの街角、離れられない二人、彼が彼女に言いました「泣かないで」。マヒナスターズに書き下ろした初めてのオリジナルものです。(昭和33年5月16日作曲)”〜
「小さな酒場」は昭和35年に「誰よりも君を愛す」でレコード大賞を受賞した同年の大賞審査で次点となった作品である。同じ作曲家と歌手の組み合わせによる作品が大賞と次点だから恐れ入ったものだと思う。松尾時代を代表するこの曲はシャンソンのようにさらりと弾くピアノ伴奏と松尾の歌唱であった。今回のタンゴではピアノのタッチに原曲のイメージを残しつつも吉田メロディーの黄金期を象徴するように華麗壮美なキャバレロ風なアレンジでピアノを弾かせている。また松尾和子の声をビオラという地味な弦楽器に置き換えてみた。吉田正自身による解説書にも以下のような記載がある。
〜“この唄では、松尾君の声自身を一つの楽器として扱いました。
したがってバックはピアノだけでという特異のスタイルで書きましたが、単純さのなかに松尾君の高度な歌唱法を要求したのです。松尾君はその意図通りよく唄ってくれました。(昭和34年4月20日作曲)(注:35年7月発売)”〜
「おまえに」は「大阪ろまん」のB面として発売され、長い年月を経た後に大ヒットしたという吉田メロディーとすれば珍しいパターンのヒット作であった。岩谷時子の詩は吉田夫妻の歩んできた人生と、吉田正の夫人に対する想いを歌い上げたものに間違いはない。その劇的なクライマックスを長大な三部形式のメドレータンゴのエンディングとした。

18. 泪のブルーギター (昭和38年 星富佐夫)
星 富佐夫のデビュー曲「も一度逢いたい」のB面に収録されていた。吉田正が作詞も兼ねた珍しい作品である。(他に「霧子のタンゴ」や「夕子の涙」などでも実例はあり、吉田正は名作詞家でもあった)官能的とも言えるほど感情の高まるエネルギーの高いこの作品は、ミステリアスな霧を表現した弦楽器の和音で開始され、徐々に霧が晴れるように主題のメロディーが登場、そして情熱的な盛り上がりを見せるという編曲で仕上げた。

19. 街のサンドイッチマン (昭和28年 鶴田浩二)
都会調、吉田メロディーの原点に位置するヒット曲である。アルバムの最後を飾るのに相応しい正統派、コンチネンタルタンゴの形式で演奏されている。