吉田正記念オーケストラ
吉田正門下生の言葉
吉田先生へ・・・

昭和43年9月20日 吉田正ショウプログラムより
鶴田 浩二
鶴田 浩二
私は吉田さんに会ったとき体の中にかっと燃えるものを感じた。病気で入院した私を突然前ぶれもなしに、見舞いに来てくださった吉田さんの顔を見た瞬間である。実に3年ぶりの再会でした。吉田さんは私を忘れていなかったのだ・・・忽ち話ははずみ、そして吉田さんは私のために「忘れじのブルース」「センチメンタル・レイン」「名もない男のブルース」と新曲を、また去る9月9日、私のリサイタルには「名もない男の詩」というバラードを約束して精魂込めて作曲してくださった。吉田さんとは、そんな心のある人である。リサイタル当日には、そんな吉田さんの人柄に打たれた人たちが集まり、盛大な催しになるように心からお祈りし、私は何処に居ても駆けつけてお祝いを云いたい。
フランク 永井
フランク 永井
私が初めて先生にお目にかかったのは、ビクターに入社後半年あまりすぎた昭和31年の春でした。売れないポピュラーを唄っていた私に、当時大ヒットの「16トン」の吹込みが廻ってきました。そのリハーサルのときでしたが、スタジオへ入っていらっしゃった先生が「この唄はロシヤ・メロディーに似たところがある」などとおっしゃって気軽に私に話しかけてくださったり「家へ遊びにおいで」と、自宅の地図まで書いてくださいました。先生にレッスンしていただいて、日本語を唄う事のむずかしさと素晴らしさに驚嘆しました。こうして先生は、歌謡曲への転向の道を私に示してくださったのでした。今では、歌以外に、私の人生の師であります 今日この会に、先生の弟子であることの誇りを体いっぱいに感じつつ唄わせていただきます。吉田先生、本日はおめでとうございます。
フランク 永井
松尾 和子
「どうだ君、流行歌を歌ってみないか・・・。私が作曲してあげるよ」-どきどきしながら客席へ伺った私に先生は突然こう切り出されました。当時私は、まだジャズ専門で、赤坂゛クラブ・リキの専属歌手。もちろんかけだしでした。そんな私の歌を、いつ頃からお聴きいただいていたのか、光栄に思わず顔がほてりました。卵だった私を、雛にかえしてくださった吉田先生との、これが最初の出会いでした。「グッドナイト」「東京ナイトクラブ」が発表されるちょうど半年前ですから、もう10年は昔のこと。いわば、吉田先生は私の歌の生みの親でもあり、細大の恩師でもあります。
三浦 洸一
三浦 洸一
東洋音楽学校でクラシックの声楽を勉強していた私がビクターの新人として、歌謡曲の歌手としての第一歩を教えてくださったのは、吉田先生です。昭和28年 5月、デビュー曲として発売された「さすらいの恋唄」、はじめてのひっときょくとなりました「落ち葉しぐれ」から、今日に至るまで先生の御作によって、私は歌手三浦洸一として生きてくることが出来ました。吉田先生は私にとってかけがえのない恩師であり、先生にめぐり合えたことが私の人生にとって最大の、幸せであると申せましょう。
橋 幸夫
橋 幸夫
吉田先生、作曲生活20周年をお迎えになられたことを教え子の一人として心からお祝い申し上げます。僕が歌手としてデビューさせていただいて8年-無我夢中でがんばってきましたがその8年間、僕は先生から唄の勉強だけではなく人間としての教訓を数え切れないほど、学ばせていただくことができました。かつて先生とご一緒したアメリカと東南アジアへの2度の海外旅行も忘れることのできない経験(思い出)の一つです。たとえば、旅行先のホテルでもご自分の身の回りのことは洗濯物まで自分でされる先生の几帳面な日常生活の一面に触れて自分のことを恥ずかしくさえ思いました。そんな小さな出来事すら先生とのふれあいが、どんなに僕の青春、居は、これからの人生にプラスしたことか計り知れません。現在の先生の若さをいつまでも保たれ、そしていつまでもお元気でいらっしゃることをお祈りいたします。そして本当に有難うございました。
吉永 小百合
吉永 小百合
初めてお目にかかった夜−それは昭和37年2月のある夜10時半頃でした。「喜代子、ただいま」とおっしゃって、先生はお宅の玄関を入っていらっしゃいました。いつお帰りになられるかと、ドキドキしながら緊張していた私は、そのとたんに震えだしてしまったのを覚えています。「ヤァーどうも、お待たせしました」と、とってもやさしくおしゃってくださいました。私はそれでスッと気が楽になりました。私が持参したテープの唄をただ黙ってじっと聴いていらしゃった先生のお姿、それだけが今も私の心の奥に焼き付けられています。それからどうして家に帰ってたのか、何一つ覚えていません。でも数日たって、「お稽古にいらっしゃい」というお伝言を聞いたときの嬉しさと、はじめて「北上夜曲」のレッスンをしていただいた時、間違えてばかりいて、先生を困らせてしまったことはいつまでも私の胸に残っています。
三田 明
三田 明
吉田先生、作曲生活20周年記念ショウおめでとうございます。「異国の丘」より20年−光陰矢のごとし−先生の胸中はきっとこんなお気持ちでいっぱいと思います。その間、数々のご苦労をよそに数多くのヒット曲をお作りになった吉田先生、その輝かしい記念ショウに門下生の一人として出演できますことは感慨無量です。僕もデビューして5年「美しき十代」から始まって最近曲の「ナイト・イン・六本木」に至るまで吉田先生の全曲その間、いろいろと僕なりに悩みの壁にぶつかる度に戦争中もしくは芸能界での幾多の苦労話や世間話を吉田先生御夫人からお伺いするたびにどんなに勇気と励ましとなりましたか、僕はいつも吉田先生あっての三田明だといつも感謝しております。と同時に僕もこれから先20年30年と努力を重ね末永く歌い続けられたらと・・・・吉田先生どうかこれからもお元気でお体にはくれぐれもお気をつけ今後のご活躍をされます様お祈り申し上げます
久保 浩
久保 浩
吉田先生、作曲生活20周年おめでとうございます。また今日はこのような盛大な記念ショウに出演させていただける僕は本当に感激と感謝に耐えません。一口に20年・・・思いますのに、僕も歌謡界に「霧の中の少女」でデビューして4年ではございますが、これもひとえに吉田先生の御厚情の賜と思っております。その間幾度か吉田先生のお宅にお伺いし、厳しいレッスンの後、当時のご体験されました苦しかったこと、愉しかったことなど・・・何度かお話をお聞きしましたが、その一言一句が先生の曲の歴史になっているような気が致します。「人の心をうごかすうたを!」・・・ 恩師吉田先生のお言葉を胸に僕も一生懸命努力勉強いたします。どうかよしだせんせい、僕が一番心配しておりますお体には十分お気をつけ今後ともいっそうご活躍されますようにお祈り申し上げます。